拡大するSaaS市場
ここ数年で、SaaS, PaaS, IaaS(それぞれ、Softwear, Platform, Infrastructure as a Serviceの略)など、インターネットを介してソフトウェア/プラットフォーム/インフラを提供するクラウドサービスが急拡大しています。
なかでもSaaSは大きな注目を集めており、多くの有望企業がSaaSモデルに事業転換し、既に大きな成功を収めています。例えばグローバルでは、Adobe、Microsoft、Amazon、 Apple、Google等が続々と参入し、国内ではスタートアップは然ることながら創業20年を超えるサイボウズなども参入し急成長を遂げています(下図ご参照)。
サイボウズ
サイボウズ株式会社 事業説明会資料より
Adobe
また、グローバルのSaaS市場は年率19%で成長し続け、2018年までに約6兆円まで達すると予測されています。
このように事業に急速な成長をもたらすSaaSモデル(≒サブスクリプションモデル、定期課金型モデル)を自社でも取り入れたいけど、どうしたら効果的な事業転換が出来るのかお悩みの方もいらっしゃると思います。今回は、そんなお悩みに応える、ボストン・コンサルティング・グループがまとめたサブスクリプションモデルに関する良記事をご紹介します。
以下、BCGのブログ記事「The One Ratio Every Subscription Business Needs to Know」から引用。
近年、多くの事業が「売り切りモデル」から「サブクリプションモデル(定期課金型モデル)」へと移行しています。Salesforce.comがSaaS市場を開拓してからというもの、B2B、B2C関係無く全ての業界に変化が表れました。
Netflixは月額制オンライン動画の分野を席巻し、SpotifyはiTunesに代わる音楽プラットフォームとなりました。サブクリプションエコノミーは、もうすでに私たちの身の回りに浸透しています。
ビジネスリーダーにとって、この動きは非常に対応が難しいものとなっています。特に難しいのが、どのようにサブスクリプションビジネスを正確に評価すればよいかという点になるでしょう。
結局のところ、サブスクリプション型サービス・商品の販売方法は、従来の前払い型と根本的に異なります。従来の前払い型では、最初の商談が重視されていましたが、サブスクリプション型では契約後の顧客との継続的な関係構築が重視されます。
実際、売上の多くは販売後の、継続的な関係の中で生まれるのです。
例えば、5年間継続的に契約した場合、最初の1年目はカスタマーバリュー(顧客から見た時の商品・サービスの価値)の60%しか獲得出来ませんが、その後4年間は、継続してカスタマーバリューの90%以上を獲得出来ることがこれまでの調査で分かっています。
また、サブスクリプションビジネスでは、リスクが顧客か売り手側へと移ります(顧客が自社のサービスを購入するリスクから、企業が顧客に契約継続して貰えるかのリスクに転換)。これは、長期的な顧客との関係によって利益を得ることを前提としているからです。
サブスクリプションサービスを提供する企業は、その製品のビジネスパフォーマンス(成果)をより明確にすることが必要とされます。それはサブスクリプションモデルの投資対効果が後になってもたらされるため、これまでの測定基準が当てはまらいないことを意味します。
サブスクリプションビジネスの疑問を解決するLTV/CAC
サブスクリプションサービスを展開している(しようとしている)企業からは、次のような疑問が浮かぶでしょう。
- サブクリプションビジネスの継続的な成功をどのように評価・判断するか?
- どこに焦点を絞ってサービス改善していけばよいか?
- 価格、製品自体、それともマーケットにフィットしているか、はたまた市場開拓戦略なのか、オペレーションの中に問題があるのか。
- グロースの為に資本投下するタイミングと、利益獲得にフォーカスするタイミングは如何にして決定するか?
- 自社のサブスクリプション製品のうち、どの製品から資本投下すればよいか?
以上の問いに答えるために、サブスクリプションモデルの支持者は「LTV/CAC(Lifetime Value÷Customer Acquisition Cost)」という指標を使います。
LTVはLifeTime Valueの略称であり、顧客生涯価値、すなわち1人の顧客が生涯で企業にもたらす価値を表しています。顧客が商品やサービスに愛着が高いほど、LTVは高くなる傾向にあります。
一方、CACはCustomer Acquisition Costの略称で、ユーザー1人あたりの獲得コストを示しています。
これまで実施した大規模な調査、競合や投資家への詳細インタビュー、ベンチマーク分析などから、LTV/CACがサブスクリプションビジネスの健全性に対して、深いインサイトをもたらすことがわかっています。
LTV/CACの定義と採用される理由
定義
LTV/CACがサブスクリプションビジネスにおいて非常に重要な指標です。
まずは、その定義から説明します。LTVとCACに分解して、それぞれをさらに細分化したシンプルな式を以下に示します。
Nはランディングから顧客成熟までの年数
The One Ratio Every Subscription Business Needs to Knowより
この式からもわかるように、分子にあるLTVは以下の4項目から計算されます。
- 顧客あたりの平均売上(ARPA:average revenue per account)
※toC向けビジネスでは、ARPU(average revenue per user)を使用することが多いです。 - 粗利
- リテンション:現在の顧客からの継続した売上(チャーンの逆数)
- エクスパンジョン(膨張):規模拡大、アップセリング、クロスセリングによる既存顧客からの追加の売上
一方、分母のCACはもっとシンプルで、新規獲得のためにかかった、マーケティングコストと営業コストの平均を表しています。
実は、LTV/CAC指標は多くの種類がありますが、それは主にLTVの算出が複雑であることに因るものです。
採用される理由
LTV/CACは、サブスクリプションビジネスが直面する問題に対して、解決策を提案するような指標になります。なぜなら、LTV/CACはサブスクリプションビジネスの健全さを正しく示す指標となるからです。
LTV/CACはサブスクリプションビジネスの健全性を示す指標となります。
サブスクリプションビジネスの成長は、長期的な利益が約束された顧客の獲得に資金を投下することです。
VCは経験則から、健全なビジネスを示すものとして、LTV/CACが3以上あることを参考にしています。もしLTV/CACが3未満の場合は、企業は自らの事業に修正が必要な状態であると考えた方がよいでしょう。
事業を修正するにあたっては、以下のことを考える必要があるかもしれません。
- そもそもそのサービスを提供することが妥当か
- いかに顧客にファンになってもらうか
- どのようにサービスが購入されているか、または使用されているか
一般に、カスタマージャーニーに沿った施策の多くは、高いLTV/CACを生み出すことがわかっています。
成長企業
成長事業にとって、LTV/CACは弱点を正確に特定し、オペレーション改善の優先順位付けの材料となります。LTV/CACは、企業が事業を最適化する為にに、何に注力したらよいかの診断ツールとして機能するのです。
この指標は、リーダーが各要因を掘り下げ、何が足を引っ張っているのか、或いは何が利益を生んでおり何に注力すべきなのか決定するのに役立ちます。
また、業績の良い他事業のベンチマークすることに加え、自社内の異なる各セグメント(商材毎、顧客規模毎、産業毎、マーケティングチャネル毎など)のLTV/CACと比較することで、リーダーは重要なインサイトを得ることができます。
また、事業責任者は、LTV/CACに基づく業務改善の影響を試算することが可能になります。LTV/CACを用いた分析によって、長期的なビジネスの健全性に大きな影響を与えうるアクションは何かということに気づくことができるのです。
成熟企業
成熟事業にとって、LTV/CACはグロースのために投資すべきか、利益確保のために既存事業をそのまま運営すべきかを決定するのに役立ちます。
VCの経験則からの、「LTV/CACは3以上ルール」の妥当性を確かめるために、DCF(discounted cash flow)モデルを作成しました。平均的な営業外経費と割引率という前提のもとでは、その結果は実に信頼性のあるものとなりました。
LTV/CACが3以上を示すほとんどの事業において、現状維持よりも、新規顧客獲得への投資を行う方が大きなリターンが得られると実証されました。。逆に、LTV/CACが3未満の場合では、新規投資ではなく、現状の利益を維持することがよりよい事業方針となるのです。
企業にとって、LTV/CACが3以上であれば、事業は健全で、セールスとマーケティングへの投資によってスケーリング(規模拡大)する可能性が大いにあることを意味します。
3未満であると、その事業は修正の必要があり、グロースへの投資よりも安定した利益獲得のために舵を切るべきだと考えることができます。
投資家にとって、LTV/CACの高さが、費用対効果の高い事業かどうかという明確なインサイトを示してくれます。
また、LTV/CACは、自社サービス全体における投資の優先度を決定するのにも有効です。自社でtoCのオンラインビジネスと、toBのSaaSビジネスを有している場合でも、サブスクリプションビジネス同士であれば比較可能な、一般化された指標なのです。
投資家とサブスクリプションビジネスを展開する企業にとって、どんなサービスを提供しているかに関わらず、LTV/CACはどの事業が健全であり、増資に値するかを示す極めて重要な指標です。
HubSpot社のLTV/CACを利用したグロース例
ここで、実際にLTV/CACの実証例として、HubSpot社(米国のインバウンドマーケティング&セールスプラットフォーム企業)の事例をみていきたいと思います。
※HubSpotの取り組み事例は「【成約率を飛躍させる】成約率を上げるインバウンドマーケティング(HubSpotの例)」をご参照下さい。
数年前、HubSpotのグロース計画では、顧客獲得のためにかなりの投資を必要としていました。このとき、経営陣は現状のLTV/CACが1.7と算出します。
先ほどの「LTV/CACは3以上ルール」に従うと、現段階では、グロースへの投資の前に今のビジネス体制を整える必要があるということを示しています。
そこで経営陣は、顧客セグメントごとに分けてそれぞれを分析するために、LTV/CACを適用しました。
この詳細な分析によって、投資が時期尚早であると気づき、いつ、どの分野に投資を実行すればよいか、正確な判断をすることができたのです。
また、Mark Roberge(HubSpot社の元副社長)氏によると、LTV/CACは、改善の必要性が最も高い事業領域を特定する際にも非常に有効とのことです。
HubSpot社の経営陣は、LTV/CACの分析によって、同社の市場開拓戦略が上手くいっておらず、その中でも特に高い解約率に悩んでいることを発見しました。さらに掘り下げて、カスタマーサクセスといったアフターサービスというよりも、販売員のセールス活動に起因して、高い解約率が引き起こされていることが導き出されました。
高い解約率の原因がアフターサービスにないというのは、驚くべきことでした。
その後、HubSpot社のLTV/CACを利用した改善結果は目を見張るものでした。
少なくとも18ヶ月のうちに、同社は月の解約率を半分以下(3.5%から1.5%)にカット、市場開拓コストも減らし、LTV/CACをほぼ3倍にまで引き上げたのです。
これによって、HubSpot社は大躍進することとなりました。Roberge氏によると、このときの経営陣は、常にLTVとCACを最適化する様々な方法を模索し続けていたとのことです。
現在、Roberge氏は新しい役職において、サブスクリプションビジネスを追跡、評価する手法としてLTV/CACを採用しています。
このようにLTV/CACは、業務の課題発見と改善だけでなく、事業戦略における意思決定をも導くのです。
まとめ
サブスクリプションビジネスにおけるLTV/CACは、強力で、非常に応用のきく診断ツールです。単に製品や事業の財務的な健全性や、事業価値を明確に示すだけでなく、企業の意思決定をも導くことが可能なツールなのです。
近年、多くの大手企業において、自社製品の評価手法、開発や市場の開拓戦略、事業管理手法が変化してきています。
その中でも、サブスクリプションビジネスに投資、あるいは既にサブスクリプションビジネスをしている企業にとって、LTV/CACは、評価手法として最も有効な手段になるでしょう。